怪物はハコの中に

架空の劇団にまつわる創作に関するものです

枯木忠高の小規模な懊悩

 斎波が『ああ』なってからしばらく、ブルートループ内はひどいもんだった。
「正己くん、どうしてあんな……」
「もうやめましょうって。起こったことはどうしようもできないんですから」
 特にショックを受けていたのは俺と同じ、先代座長時代から残留していた“古参組”だ。何せ斎波と言ったら若手ながらも古参組を引っ張るエース格だった。団員が次々やめていく中、あいつが表立って残留組を奮い立たせてなんとか劇団の体裁を保たせていた。思わず目を逸らしたくなるくらい真面目で誠実、公明正大なあいつが、まさか新入りに暴力を振るうなんて。
「……まあ、あいつも色々溜め込んでたんだろ」
 落ち込んでひたすらクダ巻いてる皆が見るに堪えず、俺はとりあえずそれらしいことを言ってみる。言ってから、「ああ、こういうときこそあいつが皆を先導していたんだったな」と思い出し、尚更気分が落ち込む。
「あいつに頼ってばっかで……あいつが弱ったとき、受け止める準備ができてなかった。俺達にも問題はあったんだよな」
「そうよねえ。正己くん、わたし達より年下だったのに……」
 まずった。空気を変えるはずが、さらにどんよりさせてどうするよ。薄川が「余計なことすんな」とばかりに睨んでくる。
「もう、過ぎたことじゃないですか! そういうことは後で話し合いましょうよ! せっかく公演自体は大成功したんだし、まずはそれを喜びましょうって!」
 そうは言うが、その成功も斎波のスキャンダルで大部分おじゃんだ。これからしばらくスタジオや稽古場はパパラッチまがいのマスコミが群がってくるだろう。とてもじゃないが喜べるような状況じゃねえ。
「ああ、もう、まったく――」
 どうしてこんなことになっちゃったのかしら。葉原の呟きにああ、そうだなと頷く。
 ほんとう、なんでこんなになっちまったんだか。

 

 やめようと思えばやめられるチャンスは、実のところいくらでもあったんだ。
 最大のチャンスは志島先生が亡くなって――あの可愛げのないお嬢サマ、亜理愛が後を継ぐことになったときだ。
 亜理愛はなんというか、一周まわって同情しちまうくらい、人望ってやつを全然持っていなかった。
 何か悪さをするわけじゃないが、いつもツンケンしてて素直に話しを聞かない奴はそれだけで避けられる。おまけに愛想が良くて素直で“天才”な妹さんがいたわけで、本人も周りもすっかりこじらせちまってた。
 あんな奴が二代目になってもろくなことにはなるまい、そもそもあんなガキについていけるか――そう思った古参団員がどんどん抜けていくのも仕方のない話だった。
 で、俺はというと……この際役者業自体、すっぱり足を洗うつもりでいたんだ。
 ダンスはまだしも、役者の仕事に骨を埋めたいと思うほどの思い入れはなかったし、斎波や城戸みたいな『志島塾の秘蔵っ子』連中ほど才能もない。これを機に、別の道に進んでみようかと考えていたところだった。
 亜理愛が残った団員達に頭を下げに来るまでは。

「私では力不足かもしれません、きっとこれからもご迷惑をおかけすると思います――」
「――それでも、この劇団を継ぎたいんです。この劇団を残したいんです」
「どうか、力を貸してください――」

 まだ大学も出たてのうら若いお嬢さんに、土下座せんばかりの勢いで頼み込まれたんだ。少なくとも目の前じゃ『NO』なんて言いづらい。
 そして、そんな姿を見てうっかり思い出してしまったんだよな。
 あの頃、志島先生に世話してもらった分を、全然返せないままだったことに。

 とはいえ、亜理愛が脚本家と称して自分のオトコを連れてきたときはまずっちまったと思ったな。
 亜理愛は隠してるつもりでいるが、彼女と藍条がデキてるのなんざ公然の秘密だ。責任者と部外者が乳繰り合ってて劇団や事務所が駄目になる話なんて山のようにあるから、あの時は本気で頭を抱えたもんだ。
 しかし藍条の脚本がありがたかったのも事実だ。いつまでも親父さんの遺産を食い潰すわけにもいかねえし、新体制になるからには新しい演目をどんどんやっていかなきゃならん。そこで今をときめくベストセラー作家サマの脚本がどれだけ貢献してくれたか、今更言う必要もないだろ?
 藍条の奴も自分の立場をわきまえていて、俺達に対して脚本家以上の態度を取ることはなかった。部外者で、素人で、だから余計なことには極力口を出さない。多分、団内じゃあ亜理愛より奴の方が人望があるかもだ。
 そんな風にしてるうちに、どん底だった新生ブルートループも徐々に持ち直して、やっと新宿のハコも借りられるようになったわけだが……まあ、こんなことになっちまったんだよな。
「これからどうしましょうね……」
 葉原がまたため息をついた。釣られて俺もため息をつくと、俺達がたむろっていた休憩室の扉がおずおずと開いた。
「失礼します」
「宍上君! 大丈夫なの!?」
 やってきたのはくだんの斎波の被害者、新入り団員の宍上だった。確か斎波に花瓶かなんかで頭を殴られて入院する羽目になってたはずだが……。
「怪我はいいのか?」
「ほとんどかすり傷でしたから。検査で入院してましたけど、お医者さんがもう大丈夫だって」
「良かったぁ……大事にならなくて……」
 額に小さいガーゼを貼ってはいるが、それ以外に怪我はなさそうだ。劇団や斎波のキャリアに傷がつく以外にも、この色男に万が一のことが起きていればとんでもないことになっていた。無事で何よりだ、ほんとうに。
「……すみません。お話、少し聞こえちゃったんですけど……」
「斎波君の話? 良いのよ、宍上君は何も悪くないんだし……貴方が気にすることじゃないわ」
「いえ……斎波さんがあんなに思い詰めたのって、やっぱり僕のせいなんじゃないかって心当たりがあって」
 神妙な顔をする宍上。二枚目はどんな顔をしててもサマになるから腹が立つ。
「本当に、なんてお侘びしたらいいのかわからないんですけど……申し訳ありません」
「こっちこそ貴方に謝らなきゃよ! 宍上君ったら……」
「そうだ、謝り合戦はこれでやめにしとこうぜ。これからのことを考えるのが先だ」
 そういうと、宍上は「そうですね」と頷いた。
「こんな風にしてしまって言うのもなんですけど……僕、精一杯頑張ります。ブルートループの団員として、できる限り力になります」
「それもお互い様よぉ、紅蓮くん。これからも一緒に頑張りましょうね?」
「はい!」
 澱んでいた空気がすっかり晴れていた。皆、宍上という新しいエースに期待をかけているらしい。次々と宍上と激励の言葉を交わしている。
「枯木さんも、どうかよろしくお願いしますね?」
「……お、おう。よろしくな」
 宍上に手を握られ、反射的に頷いた。そのせいで、「いいかげん、今度こそ辞めてやろう」と懐に入れていた退団届を出しに行くのをすっかり忘れちまった。