怪物はハコの中に

架空の劇団にまつわる創作に関するものです

悪魔が戻りて

 劇団ブルートループの若きエース、斎波正己の暴力事件による波紋は、入団から日の浅い新人団員や若手俳優達にも広がっていた。
「マジであの人、殴ったん?」
「知らなぁい。でも紅蓮クン、怪我してたってぇ」
「これからウチらどうなんのよ……暴力野郎と同じ劇団なんてヤな目で見られるじゃん……」
 ああ、嫌だなあ、と初空えみなは小さい溜め息をついた。ここ数日、劇団内は事件の後始末や何やに追われ、若手以外は昼夜駆けずり回っているような状況だった。指導に回れる人間もおらず、初空達新人は自主練習を言い渡されていたが、不安な状況で放っておかれるこちらも呑気ではいられない。毎日なんとなしに集まっては、少々の稽古をした後、先日の事件の噂や今後の不安について囁き合う、という有様になっていた。陰口みたいな真似はやめよう、真面目に稽古をしよう、と言いたいところだが、初空にそんな声をあげる勇気はない。初空自身、不安で練習に身が入る心持ちではなかった。
「ふん、あんないけ好かない奴、いつかそうなるって思ってたさ。殴られたナントカさんは可哀想だけど、あんな偉そうで乱暴な奴がいなくなって万々歳だよ」
 その中でもひときわ大きな声で中傷を言っていたのは初空と同期で入ってきた伊櫃だった。ダンスが得意で、先日の公演でもかなり目立つ役を貰っていたが、良くも悪くも主張が激しい青年だった。今も声高に斎波の凶悪さについて訴えていたが、周りからは白い目で見られている。
「……あいつが他人に拳を振るう人間だとは思えんが」
 そんな伊櫃を見かねたようにぼそりと呟いたのは真鉄、初空と同い年だが数年前から劇団に所属しているらしい。少し背が低いものの、人目を惹く端正な顔立ちと綺麗な歌声が印象に残る。伊櫃よりも重要な役を演じ、それ以来彼とは緊張感のある関係になっている。真鉄の発言に伊櫃はわかりやすく不快そうに顔を歪めた。
「は? 何それ、『僕は他の人より劇団のことをよく知ってますよ』アピール? 古参ぶりたいなら外出てマスコミ対応手伝ってあげればぁ?」
「知りもしない人間のことを悪しざまに罵るほど育ちが良くないだけだ。口を開けば他人の罵詈雑言、両親から良い教育を受けたようだな」
「なんだと、このっ……」
「や、やめましょうよ!」
 今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気に慌てて割って入る。今ここで第二の暴力事件を起こされたらたまったものではない。そんな初空を、二人は忌々しそうに見つめた。
「何? 関係ない話にしゃしゃらないでくれる? いい歳して委員長気取り?」
「お前がこのどうしようもない阿呆の口を塞いでくれるのか? そうでないなら黙っていろ、中途半端に口を出すな」
 二人から同時に責めたてられ、初空は泡を食う羽目になった。周囲の人が同情する顔でこちらを見ているが、止めてくれる様子はない。せっかく勇気を出してもこれなのだ。他人と関わってもろくなことがない。
「なんで黙るの? なんとか言ってみろよ」
「あ、あの……その……」
「ちっ……偽善者め。身の程知らずに口を出すな……」
「はーい、そこまでー」
 ぱん、ぱんと手を打つ音が聞こえた――ちょうどレッスンのときの合図のような。はっとして振り向くと、稽古場にいつの間にか誰か入って来ていたらしい。ざわめきが止む。立っているのは中肉中背の、平凡な見た目の青年だった。強いて言えば少し落ちくぼんだ眼が不気味に見える、程度の特徴しかない。
 誰だあれ、知らない人、とささやく声が聞こえる。初空には見覚えがあった。最近はほとんど姿を見せていなかったが、確かあの人も団員だったはずだ。去年の公演で斎波とも共演していたはず……。
「こんにちは、初めまして。とりあえず、自己紹介から始めさせてもらうね」
 男が喋りだす。なんのてらいのない台詞になぜか聞き入り、男の話に耳を傾けてしまう。ああ、この人は喋り慣れているんだ、と初空は思った。
「僕は城戸礼衛。皆さんのほとんどは知らないだろうけど、僕も一応ブルートループの団員をやっています。事情があって少しお休みさせてもらってたけど、今度から皆さんの指導に当たらせてもらうことになりました。休みがちではあったけど、これでも少しは腕に覚えがあるつもりです。これからよろしくお願いします」
 一礼。そして、ざわめきが再開する。指導? あんな地味な人が? 半信半疑、といった声が飛び交う。初空はふと真鉄の方を見た。疑問とは少し違った、驚きと不快が入り混じった複雑そうな顔をしている。
「はーい、質問」
「はい、名前と年齢」
 挙手し、指された伊櫃はいかにも馬鹿にしたような顔つきで男をねめつけた。
「十九歳、伊櫃築也。……悪いけど、こっちはあんたが演ってるところ全然見たことないんだけど? 本当にできるの、指導?」
「はい君、態度最悪。座長さんに伊櫃って子が年上に対しての礼儀もわきまえない生意気の粋がりくんだって伝えておくね」
「はぁ!?」
 笑顔でばっさりと切り捨てられた伊櫃は怒りと焦りが混じった声をあげた。
「ていうかさ、君達まだ役者初めて一、二年、多くて三年ってところでしょ? 部活でやった? 入賞した? ああそう、結構。でもそれ、所詮『子供が思い出作りで頑張った』程度でしかないでしょ? 君達が今やってるの、お仕事なの。見てもらうのは学校の先生や審査員じゃなくて、お客様。自分の演技に値段もつけたことがないヒヨコちゃん達が偉そうに講師を選べる立場かな?」
「なっ、そっ……お前……!」
「僕がこっちに入らせてもらった理由、みんなにもわかるよね?」
 言い負かされ、二の句が継げない伊櫃を無視し、城戸と名乗る男が続ける。最初よりも言葉が柔らかく、馴れ馴れしくなっていたが、新人達はそんなことを気にする余裕もなかった。
「斎波君が事件沙汰を起こして、それの始末で人手が足りなくなったからだね。今ね、結構大ピンチなんだよね。君達も最近マスコミに絡まれたりしてない? ただでさえ忙しいのに、今まで一線で頑張ってきた斎波君が離脱しちゃったときた。さて、劇団の偉い人達はこの穴をどうやって埋めようと思っているでしょうか。……真鉄君?」
 城戸が指差す。挙手をした様子のない真鉄は鬱陶しそうに舌打ちをして答えた。
「半人前の奴らをさっさと育てて手がかからないようにする……あわよくばそいつらで『穴埋め』ができれば万々歳、そんなところか?」
「うん、その通りだ。だからはっきり言っちゃうとね、現状君らは足手まといなの。さりとて切り捨てるわけにもいかないから、はやく一人前になって斎波君レベル……まではいかなくとも、しっかりお仕事できるようになってほしいんだ。はい、そういうわけで僕が君達を一人前になるまでサポートします」
 初空はすっかり呆気にとられていた。多分、城戸の言うことは全部正しいのだと思う。しかしここまではっきりと言われたのはほとんどなかった。面と向かって、使えない奴、何もできない子供であるのだと……。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 誰かが声を上げた。初空とは交流がなかったが、他の女子達の中心人物の女子大生だ。城戸のあけすけな物言いに怒りを隠さない様子である。
「あんたが年上で、年長だからって、もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないの!? あんたみたいな口の利き方する奴に指導なんて受けたくないよ!」
「うん、いいよ。じゃあ帰って。こっちも願い下げだから」
「なっ……!?」
 城戸はまたしても、薄ら笑いを浮かべてばっさりと切り捨てた。
「言ったでしょう? うち、今余裕全然ないから。至れり尽くせり、上げ膳据え膳じゃないと教えられたくなーい、っていうお姫様をお世話する暇ないんだって。気に食わないならどんどんやめてって。うちのやり方が合わないなら、別のところを探して。君が抜けた分、他の子達に力が注げるし、僕も大歓迎」
「ちょっと……待ってって……」
「この際だから聞いとこうか。他に、やめたい人いるかな?」
 城戸の視線がゆっくりと、新人達を通過する。……非常に居心地が悪い。動物園の檻の中に入れられて鑑賞されているような気分だ。
「役者ってわりあいハードな業界だからね。せっかくモノになっても、才能がなくなったり、プレッシャーで心が折れたりして使えなくなる人、結構いるんだ。この先そういうのに耐えられる自信がないって人は、ここでやめたほうがいいかもしれないよ?」

「それこそ……斎波君みたいに心を壊して人を殴っちゃったりしないようにね」

 しばらく、時が止まったようだった。気が付くとぱらぱらと何人かが稽古場を出て行き、新人達の数が最初の三分の二ほどになっていた。その中にはいらいらと二の腕を掻いている伊櫃や、不機嫌そうに顔を背けている真鉄もいる。もちろん、初空自身も。
「……今ここにいる子達は、僕が言ったことをある程度覚悟したうえで続けるつもりでいるってことでいいのかな?」
 にたにたと、気味の悪い笑みを浮かべて城戸が言った――最初に感じた普通そうな、地味そうなイメージは、今や完全に払拭されている。
 この人はおかしい、異常だ。
「それじゃあ、レッスンを始めようか」
 ぱん、と手が打ち鳴らされた。


   *


「城戸君、どういうこと?」
 レッスンを終え、座長室を訪れた城戸を、座長・志島亜理愛はいの一番に怒鳴りつけた。
「なんのことかな?」
「とぼけないでちょうだい。今さっき、何人かここに来たわ。『新しい指導者に脅された、もうやめる』って……あなた以外に誰がいるの?」
「ああ、ちょっと言葉が過ぎちゃったかもだね」
「城戸君」
 はあ、と志島が溜め息をつく。その顔にはここ数日の疲労とストレスが色濃くにじんでいる。
「私はあなたに新人の指導を頼んだのだけど。新人達を追い出してほしいって聞こえていたのかしら?」
「いやいや、ちゃんと君の指示通りにやっているよ。ただ……『人格と素行に問題がある』僕にわざわざ頼んだんだから、僕のやり方でやらせてくれるかと思ったんだけど」
 志島は苦虫を嚙み潰したように城戸を見ていた。彼女が自分を嫌っていることはとうの昔から知っている。
「……あなたに頼んだのは、他でもない斎波君の推薦があったからよ。多少の問題はあれど、あなたならやってくれるって……」
「ふうん、あいつの意見を聞いたの? 君の期待を裏切った斎波君の」
「城戸君!」
「ごめんごめん」
 へらへら、半笑いで謝る。志島は再びふうっと溜め息をついた。
「……お願いだから、くれぐれも慎重に、穏便にやってちょうだい。もしまた事件みたいなことが起こったら、劇団の今後に関わるわ。あなたも処分しなくちゃいけないことになる」
「わかってますよ。僕はあいつみたいなヘマはしない。きっちり、頼まれただけの仕事はするさ」
 ひらひらと手を振りながら踵を返す城戸。
「あ、ちょっと! まだ話は……!」
「お説教ならラインで送っといて。後で読んどくから」
 そう言い残しさっさと出て行った城戸に、志島は三度目の溜め息をつく。なぜあんな男を斎波が指導役に推したのか。そして何より、彼の力を借りざるをえない劇団の現状に、ただただ嘆くしかなかった。